名古屋地方裁判所 昭和58年(ワ)975号 判決 1993年4月12日
原告
原告兼亡甲野春子承継人
甲野一郎
同
甲野二郎
同
亡甲野春子継承人
甲野三郎
同
同
甲野四郎
同
同
甲野五郎
同
同
乙川夏子
同
同
甲野秋子
右七名訴訟代理人弁護士
大矢和徳
被告
国
右代表者法務大臣
後藤田正晴
右指定代理人
玉越義雄
外一名
被告
愛知県
右代表者知事
鈴木礼治
右訴訟代理人弁護士
伊東富士丸
同
河上幸生
同
葛西栄二
同
浦部和子
右指定代理人
広瀬隆志
外一一名
主文
一 原告らの被告らに対する各請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告甲野一郎に対し金一〇四万一六六六円、同甲野二郎に対し金二三九万〇九〇〇円、同甲野三郎、同甲野四郎、同甲野五郎、同乙川夏子、同甲野秋子に対し各金四万一六六六円及びこれに対する被告国につき昭和五六年九月四日以降、被告愛知県につき同月一日以降、各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 被告国の答弁
原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
2 被告愛知県の答弁
原告らの被告愛知県に対する請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 訴外A(以下「A」という。)の転倒事故(以下「本件事故」という。)の発生とその後の経緯
(一) 原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)は、同甲野二郎(以下「原告二郎」という。)と訴外亡甲野春子(以下「春子」という。)との四男であるが、昭和五六年七月一五日午後二時一一分ころ、常滑市大曽町四丁目先の常滑市営大曽公園付近の道路を第一種原動機付自転車(ヤマハパッソル五〇cc、以下「本件単車」という。)の後部に定員外のB(当時一七年。以下「B」という。)を乗車させて、西方に向って運転走行中、前方から接近してきた警ら用無線自動車(常滑一号車、運転者司法巡査I、添乗者同H、以下「本件パトカー」という。)が定員外運転する本件単車を停止させるため減速して道路左側端に寄ろうとしたのを認め、検挙されることを恐れて本件パトカーの前方約五メートルの地点で本件単車を転回させ、本件パトカーの追尾を受けながら時速約二〇キロメートルの速度で本件事故の現場である同町四丁目六番地先路上(以下「本件現場」という。)西進した。
(二) Aは、前記日時ころ、訴外C(以下「C」という。)とそれぞれ足踏み自転車に乗車し、先行するCに追従して本件現場を東方に向って走行中、前方の南方向にL字型に屈曲した見通しの悪い道路から原告一郎の運転する本件単車を追尾し左折対面西進してきた本件パトカーの出現に狼狽し、同パトカーとの衝突を避けようとして急ブレーキをかけたため自転車とともに転倒し、全治約一〇日間を要する左下腿挫傷の傷害を負った。
(三) 原告一郎は、本件単車を運転してA運転の足踏み自転車(以下「本件自転車」という。)の側方を通過し、本件現場から西方に向って逃走したが、前同日午後四時すぎころに至って本件自転車に本件単車を衝突させてAに前記傷害を与えたとして警察から捜索されていることを知り、同日午後七時すぎころ母春子に伴われ、Bとともに愛知県常滑警察署(以下「常滑署」という。)に出頭し、事情聴取を受けた。
(四) 常滑署所属司法警察員巡査部長D(以下「D巡査部長」という。)らは、原告一郎に対する前記被疑事件の捜査を遂げ、同事件の引継を受けた同署所属司法警察員警視E(以下「司法警察員E」という。)は、同五六年九月一日原告一郎に対する同事件を業務上過失傷害等被疑事件(以下「本件被疑事件」という。)として名古屋地方検察庁検察官検事正Fに送致した。同庁の担当検察官G(以下「検察官G」という。)は捜査を遂げ、同月四日左記非行事実により原告一郎に対する業務上過失傷害等事件(以下「本件保護事件」という。)として名古屋家庭裁判所(以下「名古屋家裁」という。)に送致した。
記
「少年は、(1)昭和五六年七月一五日午後二時一一分頃、愛知県常滑市大曽四丁目六番地附近の道路を業務として第一種原動機付自転車を運転して走行していたものであるが、同所は、左方に屈曲して見通しの悪い道路であったのであるから、一時停止しあるいは徐行して進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、時速約二〇キロメートルの速度で同所曲り角に進入した過失により、同所を対向直進してきたA(当時一一年)運転の足踏み自転車を自車を衝突させて同人を路上に転倒させ、よって同人に対し、約一〇日間の治療を要する左下腿挫傷の傷害を負わせた。(2)上記日時場所において、上記の交通事故を起こしたのに、その事故発生の日時場所等、法令の定める事項を直ちに、最寄りの警察署の警察官に報告しなかった。」
(五) 名古屋家裁は、同五七年一〇日二九日原告一郎を保護処分に付さない旨の決定を言渡し、同決定は同年一一月一二日確定した。同決定の理由の要旨は「捜査段階における各証拠及び証人H、同Iの審判廷における各供述はいずれも信用性に乏しく、特に原告一郎の犯行状況に関する部分については、本件自転車の損壊状況や鑑定結果など物的状況と著しく齟齬することが認められ、審判廷における原告一郎の弁解及びA、C、B等の各供述その他の証拠調べの結果によると原告一郎が見通しの悪い前記交差点を左折した際安全確認の義務を怠り、その結果対進進行してきた本件自転車と衝突した事実は存せず、したがって、原告一郎に交通事故発生に伴う事故申告義務違反の事実も認められない。」というものである。
2 被告愛知県(以下「被告県」という。)の責任
(一) 違法行為
(1) 常滑署所属の警察官らは、次の(2)のとおり原告一郎に対する本件被疑事件について違法な捜査を行い、その結果、同署司法警察員Eは、原告一郎に対する嫌疑を否定する事実の存在を見落とし、原告一郎につき犯罪の嫌疑あるものとして各名古屋地方検察庁(以下「名古屋地検」という。)へ送致した。
(2)① 常滑署の警察官らは、原告一郎の取調べに際し、昭和五六年七月一六日午前八時三〇分ころから同午前九時ころまでの間、同署交通課の室内において、原告一郎に対し、「事故をやったのはてめえらか、土下座せよ。」といってセメント造りの土間に座らせた上、轢き逃げ犯人だなどと交互に罵った。また、D巡査部長は、同日午前九時ころから原告一郎の取調べを開始したが、同原告の主張を全く取り上げず、真実に反する供述調書を作成した。
② 常滑署外勤課所属の司法巡査H(以下「H巡査」という。)、同I(以下「I巡査」という。)は、真実は原告一郎の運転する本件単車が本件自転車に衝突した事実がなく、従って、衝突の状況を目撃した事実もないのに、右単車が対進してきた本件自転車と衝突し、右自転車は若干ふらつきながら進行方向左側に転倒したのを現認した旨の虚偽の現認報告書(昭和五六年七月一五日付同署司法警察員E宛。<書証番号略>)を作成した。
(3) 本件被疑事件の物的証拠は、原告一郎の嫌疑を否定しているにもかかわらず、常滑署の担当警察官は原告一郎の嫌疑を認めたのであり、右判断は合理的な根拠に基づかない違法なものである。
① すなわち、本件自転車の前輪のリムは「く」の字型に曲損しているが、右リムの曲損に要する力は、リム単体の場合でも少なくとも八〇キログラム以上の圧力が必要であり、車輪軸、ハブ、スポーク等によって補強されていた右自転車のリムの場合ではその数倍の圧力を要するものとされている。従って、右自転車の転倒後本件単車が路面に垂直に近い状態で右自転車の前輪上に乗り上げたとしても、原告一郎とB両名の体重を含めた右単車の総重量が約一三〇キログラムにすぎないことからみて、それによってリムに曲損が生じたものと判断することは難しく、また、仮にリムに曲損を与えたとした場合には、右単車が転倒もせず走行を継続しうる可能性は極めて乏しいといわざるをえない。
② 本件単車前輪タイヤのこすり痕跡と右単車前部の荷籠左下部分の凹損を衝突の根拠としているが、捜査報告書(<書証番号略>)三項4(1)の「前輪(タイヤ)にこすられたと思われるうす黒い部分がかすかに確認された。」との記載につき、昭和五六年七月一六日付実況見分調書(<書証番号略>)では右単車の荷籠を写した写真が添付されているのみで、右捜査報告書記載部分の写真はなく、その存在及び部位を特定する記載もない。また、右捜査報告書の記載も前記のとおりで、前輪タイヤのどこに擦られたと思われるうす黒い部分があったかすらも特定できていない。更に、仮に右単車の荷籠の右下部分が本件自転車に接触したのであれば、荷籠右下角よりも内側にある前輪タイヤが右自転車に接触するはずはない。
③ 本件単車前部の荷籠の凹損及び右荷籠を被包するビニールの新しい破れといった右単車の接触痕についても、前記実況見分調書(<書証番号略>)の原告一郎運転車両の状況欄には「荷籠ビニール少し破れる」と記載されているのみで、その接触の部位・大きさ等は全く特定されていないし、右調書添付写真(3)についても「ビニールが破れて衝突したと思われる箇所」という説明があるのみで、その部位・大きさ等についての記載は全くないから、右荷籠の凹損及びビニールの破れをもって本件自転車との接触痕と認められるかは疑わしい。仮に右単車の右部分が接触痕であるとしても、右接触痕に本件自転車の塗料等の付着が認められない以上、右接触痕が右自転車との衝突によって生じたと認定できる根拠となるものではない。更に、右単車には荷籠よりも幅が広いフロントカバーが取り付けられているのであるから、右単車と右自転車とが接触していれば荷籠ではなくフロントカバーに接触痕が生ずるはずであるが、フロントカバーに接触痕が認められていない。従って、荷籠の凹損は本件自転車との衝突によって生じたものでないことは明白である。
(4) (2)(3)の事実よりみれば、本件自転車のリムの曲損は、Aが本件パトカーの出現に驚いて目を閉じ、重心を失って転倒したところ、右パトカーが急制動の措置を講じたものの、転倒した本件自転車の前輪に乗り上げた結果生じたものというべきであり、常滑署の担当警察官は、本件パトカーによる事故を無実の少年の事故にすり替えるために、土下座などの強制誘導に基づく取調べによって原告一郎及びBに虚偽の供述させ、かつ、I巡査及びH巡査が事故直後に居合わせた旨の報告をし、現認状況を伏せた虚偽の現認報告書を作成して、虚偽の送致事実を作り上げたものというべきである。
(二) 因果関係
原告らには後記のような損害が生じたが、これは、前記の違法な捜査及び物的証拠の評価の誤りによって、司法警察員Eが原告一郎につき本件被疑事件の嫌疑を否定する事実の存在を見落としたまま、本来犯罪の嫌疑のない原告一郎につき犯罪の嫌疑あるものとして名古屋地検へ送致し、担当検察官をしてその後の捜査、証拠の評価を誤らせて本件被疑事件を本件保護事件として名古屋家裁へ送致せしめたことによって生じたものである。
3 被告国の責任
(一) 違法行為
(1) 検察官が少年の被疑事件につき家庭裁判所へ事件送致するにあたっては、犯罪の嫌疑のあることが要件とされているところ、右の嫌疑ありとの検察官の判断が証拠の評価につき通常考えられる個人差を考慮してもなおかつ行きすぎで、経験法則・論理法則に照して到底その判断の合理性を肯定することができない程度に達しているにもかかわらず、家庭裁判所に事件送致した場合には、その送致は違法というべきである。
そして、司法警察員Eが本件被疑事件を検察官に送致した際の送致記録は、A及びCの司法警察員に対する各供述調書二通宛(<書証番号略>)、B及び原告一郎の司法警察員に対する各供述調書(<書証番号略>)、H巡査及びI巡査作成の現認報告書(<書証番号略>)、D巡査部長作成の実況見分調書二通(<書証番号略>)及び捜査報告書(<書証番号略>)等であるが、これらの送致記録には、後記(2)のような疑問点・問題点があったのであるから、それのみによって送致事実につき原告一郎に嫌疑があるとした検察官Gの判断は、経験法則・論理法則に照らして、到底合理性を有しない程度に達していたというべきである。
従って、検察官Gとしては、自ら被害者、参考人、少年等の取調べに当たり、右疑問点や問題点の解明に当たるべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、独自の捜査をすることなく送致記録のみに基づいて名古屋家裁に本件保護事件を送致したもので、検察官として当然尽くすべき捜査義務を怠った過失がある。
(2) 本件保護事件送致記録の疑問点・問題点
① 送致事実及び送致記録によれば、本件単車は事故発生現場手前のL字型に屈曲した道路を時速約二〇キロメートル毎時の速度で左折した際に、対面進行してきた本件自転車に衝突して右自転車を転倒させ、少しふらつきながらも転倒することなくそのまま逃走したとされており、その物的証拠として、右自転車前輪リムの曲損をあげているが、本件現場の道路は幅員5.7メートルと狭く、しかも、Aの進路前方はL字型にほぼ直角に屈曲して見通しが悪かったこと等を総合すれば、右自転車の速度も時速約二〇キロメートル前後と認められ、右両車の走行速度からして右自転車のリムが曲損するはずはない。
また、右自転車は衝突の衝撃によってその場に転倒したのではなく、衝突後若干ふらつきながら倒れたとされているのであるから、右単車との衝突によってリムが曲損するとは到底考えられない。
更に、2項の(一)(3)①に主張した事実よりみても、本件単車との衝突によって本件自転車のリムに曲損が生じたものと判断することには無理がある。
仮に、本件単車と本件自転車とが衝突したのであれば、衝突による衝撃によって右単車も転倒しているはずであるが、前記送致記録では、右単車は衝突後転倒することなく走行を続けたとされているのであるから、衝突の事実がないことを証明するものである。
以上の点を常識的にみれば、Aは、本件単車とすれ違った後に前方の南方向にL字型に屈曲した見通しの悪い道路から突然現れた本件パトカーに驚き、衝突の危険を感じて目を閉じ、バランスを失って自転車とともに倒れ、その倒れた本件自転車の前輪に右パトカーが乗り上げ、その結果、右自転車のリムの曲損が生じたものと考えるべきである。
② 現認報告書(<書証番号略>)によれば、H巡査及びI巡査は本件パトカーに乗務して本件単車を追尾し、前記L字型に屈曲した道路を左折進行しながら右単車が本件自転車と衝突し、右自転車は若干ふらつきながら進行方向左側に転倒したのを現認、目撃したというものであるが、両車の衝突部位や状況を特定しておらず、近距離からの事故目撃の現認報告としては極めて明確性に欠けている。しかも、右両巡査は、常滑署の外勤係に対して本件事故直後現場に居合わせた旨の報告をなし、当初現認状況を伏せていたような事情が認められ、両人の現認事実につき不自然さを否定しえない。
③ 捜査報告書(<書証番号略>)は、本件単車と本件自転車との衝突の物的証拠として、右単車前輪上の荷籠と前輪タイヤにそれぞれ接触痕がある旨記載しているが、右捜査報告書の記載内容及び昭和五六年七月一六日付実況見分調書(<書証番号略>)添付の写真(1)(2)を見ても、荷籠や前輪タイヤの接触痕は判然としておらず、仮に右のような接触痕が認められるとすれば、右単車の前部に取り付けられた荷籠より幅の広いフロントカバーにも接触痕が生ずるはずであるが、何らそのような事実はないのであるから、右単車が右自転車に接触衝突したと考えるには無理がある。
また、前記現認報告書によれば右単車は対進中の右自転車と衝突したとされているのであるから、右衝突の際右単車前部の荷籠が右自転車に接触したのであれば、荷籠の右側が接触するはずであるが、昭和五六年七月一六日付実況見分調書添付の写真(3)によれば、荷籠を被包するビニールの破れは左側とされているのであるから、その破れは衝突によって生じたものではないと考えるべきである。
④ A及びCの司法警察員に対する各供述調書(<書証番号略>)の信用性には疑問がある。
すなわち、Aは、同人の受傷原因が本件パトカーの出現に狼狽して本件自転車の操作を誤り転倒したことにあるところから、警察官の面前において真実を述べにくい事情があり、従って、取調べをした警察官の意向に迎合した疑いが強く、加えて、当時Aは一一歳の少年であったところから、警察官の取調べに誘導されやすい状況にあった。
また、Cは、Aとともに事情聴取を受け実況見分に立ち会わされた経緯が認められるのであるから、取調べをした警察官の意向に迎合した疑いが強く、CもAと同様、当時一一歳の少年であったところから、警察官の取調べに誘導されやすい状況にあった。
⑤ 原告一郎及びBの供述調書(<書証番号略>)についてもその任意性、信用性に疑問がある。
すなわち、原告一郎は、当時専門学校に在籍し、Bも私立大附属高校に在籍しており、いずれも交通違反に対する学校の処分が厳しく、定員外乗車を学校に通報されて退学させられることを懸念していたことに加えて、右両名は、いずれも常滑署のコンクリートの土間に土下座をさせられ、同署の警察官から轢き逃げ犯人等と罵られた上、昭和五六年七月一五日と翌一六日の両日にわたり頭ごなしの事情聴取や取調べを受けて(供述録取は一六日のみ)弁解が充分聞き入れられず、定員外乗車の違反をして逃走した弱みを持っていたことから、不本意な供述をなしたものである。
⑥ 実況見分調書(<書証番号略>)については、見分内容のほとんどがA、C、原告一郎等の指示説明で占められているが、同人らの指示部分については、同人らの各供述調書と同様その信用性に疑問があり、また、昭和五六年七月一六日付実況見分調書(<書証番号略>)については現実に立ち会わないCの指示説明の記載が見受けられ、その作成過程や正確性に疑いを抱かせるものである。
(3) なお、被告国は、後記のように、検察官が違法不当な目的を持って家庭裁判所に送致した場合など権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情がある場合にのみ、検察官の家庭裁判所送致が違法となると主張しているが、仮にこのような主張を前提にしたとしても、本件被疑事件は検察官において適正な捜査をしていれば、少なくとも司法警察員からの送致記録を検討してさえいれば、原告一郎が送致事実のような非行を犯したものでないことを看破でき、犯罪の嫌疑なしとして、家庭裁判所に送致することなく事件を終結させていたはずであり、また終結せしめるべきであったのであるから、検察官の権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めるべき特別の事情がある場合に該当する。
(二) 因果関係
検察官の名古屋家裁への違法な事件送致により、原告一郎は同裁判所の少年保護事件の審判に出席して審理を受けることを余儀なくされ、原告一郎・同二郎・春子は後記のような損害を破ったのであるから、両者の間には相当因果関係がある。
なお、被告国は、後記のように、検察官の家庭裁判所への事件送致は家庭裁判所に権限の発動を促す行為にすぎないから、検察官が本件保護事件を家庭裁判所に送致したことと原告一郎が少年保護事件の審判を受けたこととの間には相当因果関係がない旨主張しているが、少年事件についても不告不理の原則が適用されるのであるから、検察官Gによる本件保護事件の送致がなければ原告一郎が名古屋家裁の審理を受けることはなかったのであり、従って、検察官の送致との間に相当因果関係があることは明らかである。
4 損害
(一) 原告一郎は、匿名ながら本件事故を惹起した被疑者として検挙されたことを新聞報道されたのみならず、前記のような違法な取調べを受け、違法な事件送致により昭和五六年一〇月から同五七年一〇月二九日まで一年余にわたり、少年保護事件の審判に出席して審理を受けることを余儀なくされたもので、その間の精神上の損害は甚大であり、それは一〇〇万円をもって慰謝されるべきである。
(二) 原告二郎は、原告一郎の父として次の損害を被った。
(1) 少年保護事件弁護士費用
八九万九八五〇円
本件保護事件の付添人を原告代理人に依頼し、次の費用を支払った。
着手金二五万円、成功報酬金五〇万円、実費一四万九八五〇円。
(2) 示談金 七万一〇五〇円
原告一郎が本件被疑事件によって検挙されたため、Aに対し示談金名下に七万一〇五〇円の支払を余儀なくされた。
(3) 本訴訟弁護士費用 六七万円
本件訴訟に関し、原告訴訟代理人に対し、手数料、報酬ともに三三万五〇〇〇円の合計六七万円の支払を約した。
(4) 慰謝料 五〇万円
本件保護事件の名古屋家裁への送致によって筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を蒙ったのであり、それは五〇万円をもって慰謝されるべきである。
以上合計 二一四万〇九〇〇円
(三) 春子は、原告一郎の母として、本件保護事件の送致によって甚大な精神的苦痛を受けたところ、それは五〇万円をもって慰謝さるべきである。
5 相続
春子は、昭和六三年四月一四日死亡し、同人の慰謝料請求権は、同人の夫である原告二郎と同人の子であるその余の原告らに法定相続分に従って相続された。
よって、原告らは、被告らに対し、国家賠償法一条一項に基づき、原告一郎は金一〇四万一六六六円、同二郎は金二三九万〇九〇〇円、同甲野三郎、同甲野四郎、同甲野五郎、同乙川夏子、同甲野秋子は各金四万一六六六円及びこれらに対する被告国につき不法行為時である昭和五六年九月四日以降、被告県につき不法行為時である昭和五六年九月一日以降、各支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告県の請求原因に対する認否及び主張
1(一) 請求原因1(一)、(四)、(五)の各事実は認める。
(二) 同1(二)のうち、本件事故の原因がAにおいて本件パトカーの出現に狼狽し、これを避けようとして急ブレーキをかけたことにあるとの点は否認し、その余の事実は認める。なお、本件事故は、本件自転車の前輪に原告一郎運転の本件単車の前輪が衝突したことにより惹起されたものである。
(三) 同1(三)のうち、原告一郎が本件単車を運転して本件自転車の側方を通過したとの事実及び原告らの常滑署への出頭時刻は否認し、その余の事実は認める。
2(一) 同2(一)(1)のうち、司法警察員Eが原告一郎につき犯罪の嫌疑あるものとして名古屋地検へ送致したことは認め、その余は否認する。
(二) 同2(一)(2)の①②の各事実はいずれも否認する。原告一郎及びBが、昭和五六年七月一六日常滑署に出頭し、同署交通課交通事故捜査係のJ巡査部長(以下「J巡査部長」という。)から同署交通課の室内に招き入れられた際に、同室内の床に正座した事実はあるが、これは、右両名が反省の意思を表示するために自発的に行ったものであり、この事実と原告一郎の供述調書の任意性、信憑性とは無関係である。
(三) 同2(一)(3)冒頭の主張及び①は争う。原告らのリムの曲損に関する主張は、静力学的方法による解析に基づくものである。走行中の自転車と単車との衝突により自転車の前輪に作用する力を求めるためには、動力学的方法による解析が必要であり、それによった場合には、本件単車の前輪が本件自転車の前輪に衝突して右自転車の前輪リムに曲損を生じさせる力が作用する可能性は十分ありうるところである。
また、同2(一)(3)の②のうち、本件単車前輪のこすり痕と荷籠の凹損を衝突の根拠としていること、捜査報告書に原告主張の記載があること、実況見分調書に原告主張の写真が添付されていることは認め、その余は争う。③のうち、実況見分調書に原告主張の記載のあることは認め、その余は否認ないし争う。
(四) 同2(一)(4)は否認する。原告の主張は、何らの根拠にも基づかない一方的な推測であって、合理性がない。
(五) 同2(二)は否認する。
3 同4は知らない。同5のうち、春子が昭和六三年四月一四日に死亡したことは認め、その余は知らない。
4 主張
常滑署の担当警察官が、原告一郎につき本件被疑事件の嫌疑を認めたことは、次のような合理的根拠に基づくものである。
(一) 本件事故発生状況の基本的な部分につき、加害者である原告一郎、被害者であるA、目撃者であるC、Bの各供述は一致しており、かつ、右各供述は、I巡査及びH巡査の現認報告書とも符合している。
(二) Cは、本件事故発生直後、衝突音を聞き本件現場直近住居から出てきた訴外稲留タマ子(以下「稲留」という。)から本件事故発生の状況を聞かれて、同人に対し「今、バイクとぶつかって、バイクの人は逃げていった」と述べており、本件事故発生当日実施された実況見分に際しても、Aが本件自転車で走行中に本件単車と衝突した旨指示説明するとともに、昭和五六年七月一七日と同年八月二日の事情聴取に際しても一貫して同様の供述をしている。
他方、Aにおいても、本件事故発生当日、両親付添いの下に実況見分に立会い、本件自転車で走行中に本件単車と衝突した旨任意に指示説明し、同月一七日と同年八月二日母親A'立会の下になされた事情聴取に際しても、一貫して同様の供述をしており、CとAの両名の右指示説明・供述には任意性、信用性が認められる。
(三) また、原告一郎・Bについても、原告一郎の運転する本件単車が本件自転車と衝突した旨任意に供述しており、原告一郎においては、同年七月一六日実施された実況見分に際して本件事故発生の状況を具体的に指示説明しており、右両名の供述・指示説明に不自然な点はない。
(四) 本件単車の前輪左側には「こすられたと思われる薄黒い部分」が、また右単車前部に備えつけられた荷籠左下部分には衝突の際生じたと思われる凹損が認められ、本件自転車の前輪リムにも衝突により生じたと思われる曲損が認められるところ、これら両車の損傷状況は、原告一郎らの本件事故発生状況に関する供述に符合するものであり、両車の衝突を否定する根拠とはなりえない。
すなわち、本件単車前輪のこすり痕並びに荷籠の凹損は、右単車がその前輪左側、前部荷籠左下部分の順に本件自転車に衝突後、そのまま走行して右自転車の右側を通過したことを意味し、右単車のフロントカバーに損傷がないことも、右単車と自転車の双方が運動物体であり、右衝突後本件単車のフロントカバーに本件自転車が接触することなく双方が離反したために損傷が生じなかったものと解すれば、何ら不合理な点はない。また、リムの曲損は、右単車が右自転車前輪に衝突したことを意味し、走行している単車と自転車が衝突した場合には、自転車前輪リムに容易に曲損が生じるもので、これをもって両車の衝突を否定する根拠とはなしえない。
三 被告国の請求原因に対する認否及び主張
1(一) 請求原因1(一)、(四)、(五)の各事実は認める。
(二) 同1(二)のうち、本件事故の原因がAにおいて原告一郎の運転する本件単車を追尾し左折進行してきた本件パトカーの出現に狼狽し、これを避けようとして急ブレーキをかけたことにあるとの点は否認し、その余の事実は認める。
(三) 同1(三)のうち、原告一郎運転の本件単車が本件自転車の側方を通過したとの点は否認し、その余の事実は認める。但し、原告一郎らが常滑署に出頭したのは午後八時ころである。
2(一) 同3(一)(1)の冒頭の主張を除き、司法警察員Eが本件被疑事件を検察官に送致した際の記録中に原告らの主張の各証拠が存在したことは認め、その余は争う。
検察官は、成人の刑事事件については公訴権を独占し、起訴便宜主義の下に広範な裁量権が認められているが、少年の刑事事件については、家庭裁判所先議、保護優先主義が貫かれ、検察官において不起訴処分が許されるのは「嫌疑なし」、「被疑者死亡」、「確定判決」、「罪とならず」等の場合であり、家庭裁判所が刑事処分相当として検察官に逆送してきた場合(少年法二〇条の送致)にも家庭裁判所への再送致を除いて必ず公訴提起しなければならず、全件送致主義とともに起訴強制主義が採られている。このように、検察官は、少年の刑事事件処理に関しては直接的な権限を有しておらず、ただ、家庭裁判所への送致に当たり、少年に対して処遇意見を付することができるのみで、その役割は極めて限られた付加的なものである。加えて、家庭裁判所送致に当たっての「犯罪の嫌疑」(少年法四二条前段)について検察官に要求される心証の程度も、公訴提起にあたって要求される心証の程度より低い蓋然性以上のものではあり得ないこと等に照らせば、検察官の家庭裁判所送致が違法とされるのは、「検察官が違法ないし不当な目的をもって家裁送致した場合など、権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情がある場合」であることに限られるべきである。
(二) 同3(一)(2)のうち、⑤の原告一郎が当時専門学校に在学中であり、Bが私立大学附属高校に在籍していたことは認め、その余は争う。
(三) 同3(一)(3)は争う。
(四) 同3(二)は否認する。少年法は、家庭裁判所先議、保護優先主義を採用し、家庭裁判所は、家庭裁判所に通告、報告、送致された少年事件を受理すれば、独自の調査結果をもふまえた上でその固有の権限に基づき審判を開始するか否か、いかなる保護を加えるべきかを決定するのであって、検察官の家庭裁判所送致自体は家庭裁判所に右権限の発動を促す行為にすぎず、家庭裁判所は検察官のなした家庭裁判所送致には何ら拘束されないと解されているのであるから、検察官が本件保護事件を家庭裁判所に送致したことと原告一郎が少年保護事件の審判に出席して審理を受けたこととの間には相当因果関係はないというべきである。
3 同4(一)のうち、原告一郎が名古屋家裁において、本件保護事件により一年余にわたり審理を受けたことは認めるが、新聞報道の事実は知らない。その余は否認する。また、同4(二)及び(三)の各事実は否認する。
4 同5のうち、春子が昭和六三年四月一四日に死亡した事実は認め、同人が慰謝料請求権を有していたことは否認し、その余の事実は知らない。
5 主張
常滑署司法警察員Eから原告一郎に対する本件被疑事件の送致を受けた名古屋地検の担当検察官Gにおいて右送致記録を検討したところ、同事件の嫌疑の有無を判断すべき資料として、請求原因3(一)(1)で主張されているもののほか、本件事故直後の目撃者稲留の司法警察員に対する供述調書一通(<書証番号略>)、Aの受傷診断書一通(<書証番号略>)、当事者を原告二郎、Aの父A"とする示談書一通(<書証番号略>)があった。
検察官Gは、右各証拠を論理法則、経験法則に基づいて総合的に評価、検討した結果、嫌疑ありとの心証を抱いたのであるが、その判断に誤りはなかった。
すなわち、右の各証拠を総合すれば、原告一郎は、本件単車の後部座席にBを同乗させて右単車を運転中、本件パトカーに発見されて逃走し、その途中L字型に屈曲した道路を通過した直後にA運転の本件自転車の前部に右単車の前部を衝突させたが、転倒することなくそのまま逃走し、他方、Aはその場に転倒して傷害を負い、また右単車を追尾してきた右パトカーは転倒している右自転車の手前で停止し、右パトカーに乗車していたH巡査は、右自転車を道路端に寄せてI巡査運転の右パトカーを通過させたのち、常滑署に交通事故発生の電話連絡をし、その後程なくして本件現場に戻ったI巡査とともに原告一郎方を訪れて原告二郎に原告一郎を常滑署に出頭させるよう要請したとの事実が認められるところ、「本件単車が本件自転車に衝突して逃走した。」との基本的事実については、A、C、目撃者I・H両巡査、原告一郎及びBの各供述はすべて一致していた。
そのうえ、(一)Aは、本件事故当日の事情聴取のときから本件単車に衝突された旨一貫して供述し、実況見分においても転倒状況を具体的に指示説明していること、右事情聴取の時点では警察官の強制、誘導がなされる余地はなく、また後日の事情聴取は母親立会の下で行われており、強制、誘導の可能性のないこと、(二)Cは、本件事故直後、稲留にAが単車に衝突され単車は逃走した旨答えており、更にAと同様に本件事故当日の事情聴取のときから一貫してAは単車と衝突したものである旨供述し、実況見分においてもAの転倒状況を具体的に指示説明していること、(三)原告一郎も、本件事故当夜の事情聴取のときから一貫して被疑事実を認め、実況見分においてもその状況を具体的に指示説明し、その指示説明はA及びCの指示説明とほとんど一致していること、(四)Bも原告一郎と同様に本件事故当夜の事情聴取のときから一貫して本件単車と本件自転車とが衝突した旨供述していること、(五)H・I両巡査は、本件事故発生後直ちに常滑署に電話連絡をしたのち、速かに原告一郎方に赴いて原告二郎に原告一郎を同署へ出頭させるよう要請しており、その間に不自然な行動はなく、同人らが事実を歪曲したのではないかとの疑いを抱かせるような事実は全く認められないこと、(六)本件自転車の前輪には「く」の字形に曲損する単車との衝突の跡があり(走行中の単車の衝突事故であるから、自転車の前輪のリムに曲損が生ずることは当然であり得ることである。)、本件単車にも前輪にこすり痕、荷籠に接触痕があるなど本件自転車と衝突したことを窺わせる形跡があったこと、(七)原告一郎は、Aとの間で治療費、自転車の修理代等を支払う旨の示談を成立させていること等の前記各供述の信用性を高める事実が存在していた。そして、前記各証拠中には、個々的にみると一部想像による供述を疑わせる部分があったり、昭和五六年七月一六日付の実況見分調書(<書証番号略>)には立ち会っていないCの指示説明を重複記載する不手際があるにしても、右各証拠を総合勘案してみると、原告一郎が本件被疑事件を犯したとの嫌疑を抱いた検察官Gの判断に誤りがあったものとはいえず、同検察官が本件保護事件を家庭裁判所に送致したことは相当であり、証拠の評価につき通常考えられる個人差を考慮してもなおかつ行きすぎで、経験法則、論理法則からして到底その判断の合理性を肯定することができないという程度に達していないことは明らかである。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1について
同1のうち、(一)(四)(五)の各事実は当事者間に争いがない。また、同1(二)の事実も、本件事故原因の点を除いて当事者間に争いがなく、同1(三)の事実も、原告一郎が本件単車を運転して本件自転車の側方を通過して走行したとの点及び原告一郎らの常滑署への出頭時刻の点を除いて当事者間に争いがない。
そして、<書証番号略>、証人B(以下「証人B」という。)の証言、証人波多真幸(以下「証人波多」という。)の証言及び<書証番号略>、証人A(以下「証人A」という。)、同H(以下「証人H」という。)、同J(以下「証人J」という。)、同稲留タマ子(以下「証人稲留」という。)の各証言、原告一郎及び同二郎本人の各尋問結果によれば、以下の事実が認められる。
1 Aは、昭和五六年七月一五日午後二時一一分ころ本件自転車を運転して先行するC運転の自転車後方を東進し、本件現場にさしかかったところ、同現場を西進走行した原告一郎運転の本件単車に続いて対面西進してきた本件パトカー直前で転倒し、左下腿挫傷を負った。前記(請求原因1(一))経緯により本件パトカーを運転して本件現場に至ったI巡査は、同現場に一旦本件パトカーを止め、降車したH巡査にその後の処置を委ねて右パトカーを再発進させ、原告一郎を追尾した。H巡査は、転倒したAの状況を確認し、本件自転車前輪リムが曲損しているのを現認したのち、直ちに本件現場に居合せた稲留に救急車の手配を要請するとともに、常滑署に架電して、原告一郎運転の本件単車が本件自転車に衝突して逃走した旨を通報し、原告一郎を見知っていたことから、程なくして本件現場に戻った本件パトカーに同乗して原告一郎宅を訪れ、原告二郎に原告一郎に対する被疑事実を告げたうえ、同原告を常滑署へ出頭させるよう依頼して、再度本件現場へ戻った。
2 H巡査から通報を受けた常滑署では、D巡査部長らを直ちに本件現場へ向かわせた。同日午後二時三〇分ころ本件現場に到着したD巡査部長は、本件現場に前輪リムの曲損した本件自転車が放置されているのを現認し、また、同現場に止まっていた稲留から子供が交通事故に遭って救急車で運ばれたなどの説明を受けたのち、本件現場に呼び戻したCから本件事故の発生状況につき説明を受け、また、そのころ、怪我の手当を終えて本件現場に戻ったAの立会も求めて実況見分を実施した。右実況見分の際、A及びCは、本件単車と衝突した旨述べ、衝突現場等につき指示説明をした。
(右認定事実中、A及びCが本件単車と衝突したこと及び衝突現場等について指示説明したとの点については、<書証番号略>、証人Aの証言中に右事実を否定するかのような記載部分及び証言部分がある。しかし、<書証番号略>及び証人稲留の証言によれば、稲留は、本件事故直後Cから単車が本件自転車に衝突した旨告げられ、また、前記実況見分に際しA及びCがその衝突現場を指示説明しているところを見ていることが、<書証番号略>、証人波多、同間瀬の各証言によれば、AとCは、当時両名が在籍していた常滑市立常滑東小学校の教諭である波多及び間瀬から本件事故につき事情説明を求められた際にも、本件単車と衝突した旨述べていることがそれぞれ認められ、これら事実に照らすと、右の<書証番号略>の各記載部分、証人Aの証言部分の信用性には疑問があり、これらを採用することはできない。)
3 H巡査は、I巡査の運転する本件パトカーで原告一郎宅から本件現場に戻り、本件現場に到達していた常滑署交通課交通捜査係の担当者に引継ぎをするとともに、同担当者の一人であったK巡査部長に対し、自分とI巡査が本件単車と本件自転車との衝突を現認した旨の報告をなし、同日常滑署に戻ったのち、D巡査部長の指示に従ってI巡査と連名でその旨の内容をもつ司法警察員E宛の現認報告書(<書証番号略>)を作成した。
4 原告一郎は、同日午後七時三〇分すぎころ春子に伴なわれてBとともに常滑署に出頭し、D巡査部長から本件被疑事件の被疑事実につき事情聴取を受け、同部長の指示に従って本件単車を持参して再度同署に出頭した。D巡査部長は、原告一郎、B、春子立会の下に本件単車を見分し、本件単車の前輪タイヤにこすり痕が、荷籠を被包するビニールに破れがそれぞれ存在するのを認めた。その後、原告一郎とBに対し、再度事情聴取をなしたが、午後九時すぎころ、両名に対する事情聴取を一旦終了し、明日また出頭するよう告げて帰宅させた。
5 翌一六日午前八時二〇分ころ、原告一郎と、Bは、春子に伴なわれて常滑署へ出頭し、同署交通事故捜査係のJ巡査部長より若干の事情聴取を受けたのち、「そこらに座って待っておれ。」と告げられたことから、同日午前八時三〇分ころから同署交通課の床に正座し、その間、同署交通課に出入りした同署の警察官から「お前らが轢き逃げやったんか。」など声をかけられた。
その後、D巡査部長において原告一郎とBを同行して本件現場に赴き、原告一郎立会の下に、同日午前九時二〇分ころから午前一〇時ころまで実況見分を行い、次いでA宅に赴き、本件単車と本件自転車との衝突状況を確認するためのいわゆる車合わせを行った後、両名に対する事情聴取のため午前一一時ころ常滑署へ戻り、午後一二時三〇分すぎころとった約三〇分の休憩をはさんで、午後三時ころまでD巡査部長において原告一郎を、J巡査部長においてBをそれぞれ取調べた。
原告一郎は、右の実況見分と車合せにあたって、積極的に被疑事実を否認する態度をとることなく、D巡査部長の指示に従ってそれを肯認する行動をとり、また、右の取調べにあたっても同事実を否認する態度をとったものの、最終的にはそれを認め、その旨の供述調書(<書証番号略>)の作成に同意し、Bにおいても右取調べにあたって原告一郎と同様の態度をとり、その旨の供述調書(<書証番号略>)の作成に同意した。
二請求原因2について
1 同(一)(2)(捜査方法の違法)について
(一) 同①(原告一郎に対する取調方法の違法)について
前記一5で認定したように、J巡査部長が昭和五六年七月一六日午前八時三〇分ころ原告一郎とBを常滑署交通課の床に正座させたこと、その間同課に出入りした同署の警察官から両名に対し「お前らが轢き逃げやったんか。」などと声をかけたこと、D巡査部長が原告一郎を、J巡査部長がBをそれぞれ同日午前一一時ころから午後三時ころまでほぼ三〇分間の休憩をとって取調べたことは明らかである。
しかし、前記一5で認定したように、J巡査部長が原告一郎とBを正座させていた間に同署の警察官によって両名に対する取調べがなされたことはなく、右取調べは、原告一郎立会の下に実施された実況見分及び車合せが終了した後、常滑署に戻ってから行なわれていることよりみると、J巡査部長が両名を正座させたこと及び常滑署の警察官らが両名に前記のとおり声をかけたことが、右取調べにどのような影響を与えていたのかは、<書証番号略>、証人Bの証言、原告一郎及び同春子本人の各尋問結果によっても必ずしも明らかではない。
また、D巡査部長の原告一郎、J巡査部長のBに対する各取調べも、前記一245で認定したように、同年七月一五日CとAの立会の下に行われた本件現場での実況見分の際、両名において本件単車と衝突してAが転倒した旨述べ、その衝突現場等の指示説明をしていたこと、本件現場には前輪リムの曲損した本件自転車が存在したこと、D巡査部長において本件単車の前輪タイヤにこすり痕と荷籠を被包するビニールに破れを認めていたこと、原告一郎立会の下に同月一六日実施された前記実況見分と車合せにおいて、原告一郎は積極的に被疑事実を否認する態度をとっていなかったことなどの事情からみると、取調べを担当した右警察官らが、本件単車と本件自転車とが衝突したとの嫌疑を前提に取調べをしたことは必ずしも根拠のないものとはいえず、かつ、本件被疑事件について、原告一郎の嫌疑は明らかに存在したと認められるのであるから、原告とBに対する取調べがある程度追及的で厳しいものとなることはやむをえないところである。
従って、原告一郎に対するD巡査部長の取調べが<書証番号略>、証人Bの証言、原告一郎及び同春子本人の各尋問結果にあるように、「嘘ばかり言っていると、少年院に入れるぞ。」などと告げるなど、その言動において穏当さを欠いた面があったとしても、未だ違法であるとまではいえず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。
(二) 同②(現認報告書作成の違法)について
前記一1ないし3の認定事実よりみると、H巡査及びI巡査が各自の認識と異なる虚偽の内容をもつ現認報告書を作成したとまでいうことはできず、他に右両巡査において殊更に認識したところと異なる同報告書を作成したものと認めるべき事情は、本件全証拠によってもなお認めることができない。従って、未だ右現認報告書の作成が違法であったとまではいえず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。
2 同(一)(3)(原告一郎に本件被疑事件の嫌疑を認めたことの違法)について
原告らは同①ないし③の事情をあげて本件被疑事件の物的証拠自体が原告一郎の嫌疑を否定していた旨主張し、それをもって、常滑署の担当警察官が原告一郎の嫌疑を認めたことを違法としている。
(一) すなわち、①において、本件単車との衝突では本件自転車に生じたようなリムの曲損は生じず、仮に右曲損が生じたとすれば、右単車が転倒することなく走行を継続しうる可能性は乏しい旨主張し、<書証番号略>(鑑定書)及び証人太田安彦の証言は右主張に沿うものである。
しかし、証人戸伏壽昭の証言及び<書証番号略>によれば、<書証番号略>の鑑定方法に疑問が出されており、これと対比してみると原告らの右主張が科学的に論証できているか否かは必ずしも明らかとはいえない。
(二) また、②では、捜査報告書(<書証番号略>)に本件単車前輪タイヤのこすり痕及び荷籠の接触痕の存在・部位を特定するに足る記載のないことをもって本件自転車との衝突を否定する物的証拠としている。しかし、右のような接触痕が全くない場合と異なり、前記一4に認定したとおり、本件単車前輪タイヤにこすり痕及び荷籠の接触痕の存在は現認されているのであるから、単にその部位が特定できないというだけでは、衝突の事実のないことが明白であるとまではいえないところである。
(三) 更に、③では、実況見分調書(<書証番号略>)に本件単車荷籠のビニールの破れの部位・程度が特定されていないこと、右部分に本件自転車の塗料等の付着が認められないこと、本件単車のフロントカバーに接触痕がないことをもって、衝突の事実はなかったと主張している。
しかし、右のビニールの破れの部位・程度が特定されていないということだけでは、衝突の事実のないことが明白であるとまではいえないし、本件自転車の塗料等の付着が認められないという点も、そのことによって直ちに衝突の事実がないことに結びつくものではない。更に、フロントカバーに接触痕がないことについても、衝突の状況如何によってはそのようなこともないとはいえないのであるから、衝突の事実を否定する根拠となるわけではない。
してみると、原告らが主張するように、物的証拠自体から原告一郎の嫌疑が否定されるとまでは認め難く、従って、本件被疑事件について原告一郎の嫌疑を認めた常滑署の判断を違法とすることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
3 同(一)(4)について
原告らは、本件自転車のリムの曲損は本件パトカーによって生じたものであるとした上で、常滑署の担当警察官がそれを原告一郎による衝突事故とすり替えるため、原告一郎らに虚偽の自白をさせ、かつ、H巡査及びI巡査をして虚偽の現認報告書を作成させたと主張する。
しかし、<書証番号略>、証人B、同H、同D、同J、同稲留の各証言、原告一郎及び同春子本人の各尋問結果に照らすと、常滑署担当警察官は、当初から本件単車が本件自転車に衝突して右リムの曲損が生じたと判断し、それが本件パトカーによって生じたものであるとは全くみていなかったことは明らかであるから、右警察官が本件事故を原告一郎による衝突事故とすり替えなければならない事情が存在していたものとは認められず、また、本件パトカーによる事故を原告一郎による衝突事故とすり替えるため、原告一郎らに虚偽の自白をさせ、かつ、H巡査及びI巡査をして虚偽の現認報告書を作成させたとの主張も、これを認めるに足る証拠はない。
4 以上の次第で、常滑署の警察官らが本件被疑事件について行った捜査と司法警察員Eが原告一郎に嫌疑ありとして名古屋地検に送致した行為をもって違法と認めることはできないから、その余の点を判断するまでもなく、原告らの被告県に対する請求には理由がない。
三請求原因3について
1(一) 一般に、刑事事件においては、検察官が公訴を提起・維持し、結果として無罪の判決が確定したというだけでは、直ちに右公訴の提起・維持が違法となるわけではなく、検察官による公訴の提起・維持が違法であるというためには、検察官の判断が、証拠の評価について通常考えられる個人差を考慮に入れてもなおかつ行きすぎで、経験法則・論理法則からして到底その合理性を肯定することができない程度に達していることが必要であるというべきところ、右判断基準は、少年の刑事事件における検察官の家庭裁判所送致が違法であるか否かの判断についても妥当するものと解すべきである。
被告国は、成人の刑事事件については、検察官が公訴権を独占し、起訴便宜主義の下に広範な裁量権が認められているのに対し、少年の刑事事件については、家庭裁判所先議主義、保護優先主義が貫かれ、全件送致主義、起訴強制主義が採られているように、検察官の役割が極めて限られたものであることなどを理由に、検察官による家庭裁判所送致が違法とされるためには、検察官が違法ないし不当な目的をもって送致した場合など、権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めるような特別の事情がある場合であることを要するとしている。
しかし、少年の刑事事件も、少年に「犯罪の嫌疑がある」場合に家庭裁判所への事件送致をすることができるのであり(少年法四二条)、この「犯罪の嫌疑がある」かどうかの判断については、被疑者が成人であるか少年であるかによって差異があるものではない。また、被告国の指摘するような検察官の役割の差異は、犯罪の嫌疑があることを前提に全件送致主義(起訴便宜主義の不適用)が採用され、また右嫌疑がない場合でも家庭裁判所の審判に付すべき事由があるときはぐ犯送致をすべきこととする限度において検察官の対応に差異をもたらすものと考えられるから、検察官の役割の差異が「犯罪の嫌疑がある」かどうかの判断の内容に直接影響するものではないと考えられる。従って、被告国の前記主張は採用することはできない。
そして、前記違法性の判断の資料としては、検察官が事件送致時点で収集していた資料及びその時点において通常要求される捜査により収集することが期待しえた資料で、少年に有利なもの不利なものの一切を含めて斟酌すべきである。
(二) 検察官Gが本件被疑事件を本件保護事件として名古屋家裁に送致した時点に収集していた資料、すなわち、司法警察員Eから本件被疑事件の送致を受けた際の送致記録として、Aの供述調書二通(<書証番号略>)、Cの供述調書二通(<書証番号略>)、原告一郎の供述調書一通(<書証番号略>)、Bの供述調書一通(<書証番号略>)、H巡査及びI巡査作成の現認報告書一通(<書証番号略>)、D巡査部長作成の実況見分調書二通(<書証番号略>)、同作成の捜査報告書一通(<書証番号略>)が存在したことは原告らと被告国との間で争いはなく、更に、<書証番号略>、証人Dの証言及び弁論の全趣旨によれば、医師山田順亮作成のAに対する受傷診断書(<書証番号略>)及び稲留の供述調書(<書証番号略>)も前記送致記録として添付されていたことが認められる。しかし、原告春子本人の尋問結果に照らすと、右送致記録に示談書(<書証番号略>)が存在していたとの被告国の主張は採用することは難しく、他にこれを認めるに足る証拠はない。
そして、原告らは、右送致記録の問題点・疑問点を個々的に指摘して(同(一)(2)の①ないし⑥)、本件被疑事件について原告一郎の嫌疑を認め、本件保護事件として名古屋家裁に送致した検察官松本の行為は、経験法則・論理法則に照して到底合理性を有しないものであったと主張する。
しかし、前記送致記録によれば、A・C・原告一郎・Bの各供述は、いずれも本件単車と本件自転車とが衝突したとの点で一致しており、実況見分調書にもそれを前提とした指示説明がなされていること、とりわけC及びAの各供述調書並びに右両名の実況見分調書における指示説明部分は、稲留の供述調書によりその信用性が裏付けられており、しかも、CとAの供述内容は、本件単車と本件自転車とが衝突したというものであったこと、物的証拠として本件自転車のリムが曲損していたこと(因みに、原告らは、本件単車と本件自転車との走行状況からみて、右曲損は両車の衝突によっては生じえない旨主張するが、<書証番号略>、証人戸伏壽昭の証言に照らすと、その可能性を全く否定することはできない。)、本件単車にも前輪タイヤのこすり痕及び荷籠の損傷、すなわち、衝突したときの接触痕とみれるものが存在していたこと、といった諸事情が認められるのであって、これらを総合的に判断すれば、原告一郎につき本件被疑事件の嫌疑ありとした検察官Gの判断には合理性が認められるというべきである。
従って、前記検察官松本の行為をもって、証拠の評価について通常考えられる個人差を考慮に入れてもなおかつ行きすぎで、経験法則・論理法則からして到底その合理性を肯定することができない程度に達していたと認めることは難しく、他に右事実を認定するに足る証拠はない。
2 また、原告らは、前記送致記録の疑問点・問題点の存在を理由に、検察官Gにおいて、それらの解明にあたるべき義務があったにもかかわらず、それを怠った過失があると主張しているが(同(一)(1))、前記1に判示したとおり、原告一郎につき本件被疑事件の嫌疑ありとした検察官Gの判断には合理性が認められる以上、原告らが主張するような捜査義務を負担していたものとはいい難く、他に検察官松本の過失を認めるに足る証拠はない。
3 以上の次第で、その余の点を判断するまでもなく、原告らの被告国に対する請求も理由がない。
四よって、原告らの被告らに対する各請求はいずれも理由がないから、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官谷口伸夫 裁判官中村直文 裁判官末吉幹和)